どこで暮らすにしても現地の言葉を身につけることは大切で(国・場所によっては生死に関わる)、長野出身の私が関西/神戸で心地よく・安全に過ごしていくためには関西弁の習得・練習が欠かせない。初めて関西で過ごした大学時代の3年は雰囲気と笑顔でごまかしていたが、さすがに在住10年目になるとカッターといえばワイシャツを思い浮かべ、「アテどうしましょ?」ときかれれば2-3品ほどそらで肴をお願いできるようになる。
単語はまだしも、イントネーションはいっそう難しい。京橋、ファミマ、バナナ、いちご、、、口に出してみて欲しい。ファミマの”ミ"にアクセントをおかずに平板に読んでしまったなら一瞬で非関西人の烙印を押される(と同時に関ヶ原の東側へと送還される)。また、あなたが思う「京橋」の街を想像してみて欲しい。その街に建つのは最新の高層ビルだろうか、あるいは線路沿いにならぶボロボロの立呑み屋だろうか(後者を思い浮かべた人は幸福な関西人である)いつか、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』に出てくるフォークト=カンプフ検査法のように、想起レベルで関西人を区別できる装置・検査法が開発されるかもしれない。
言葉は難しい。毎週土曜日の日経新聞に連載されている若松英輔さん「言葉のちから」を読む度、言葉の持つ力強さと、取扱の難しさを突きつけられる。
ぜんぜん違う話なのだけど、一意性・固有性を表す言葉の代表例である名前であっても、言葉としての取扱は難しい。私の名前は志と書いて"のぞみ”と読む。表記/志から入るとのぞみとは読まれないし、読み/のぞみから入ると志とは変換してもらえない。さらに、のぞみというやわらかい語感と私のビジュアルが一致していないことも問題を複雑にしている。かといって、志を感じるような振る舞いをしているかと言われてもいささか心許ない。
ちくま学芸文庫『規則と意味のパラドックス』をよんで、名前が持つ意味合いについて考えていた。「"68+57"の正しい答えは"5"」と主張できる、哲学者・クリプキが展開したパラドックスに紙面の多くを割いているが、私はずっと名前の意味性について考えていた。
言葉はそもそも意味をもちうるのか?言語を通したコミュニケーションを可能にする「規則」に、私たちは従うことができるのだろうか?クリプキはウィトゲンシュタインのなかに、こうした問いに否と答える驚くべき議論を見出した。それによれば、私たちが自明のものとして使用する「プラス」のような記号でさえ、「68+57=5」という奇妙な結果に導く可能性を否定することはできないのだ。(link)
記号でさえ意味が揺らぐのであれば、世の中に流通する多くの言葉、なんなら固有の身体に紐付けられた名前というものに対しても、相当の寛容さを持って触れあうべきなのかもしれない。「たなか…なにさんと読むんですか?」と何度聞かれようと、メール宛名が「田中望さま」になっていようと、別に世界が終わるわけではないし。("+"の意味が変わってしまったら世界の半分は終わるだろう)
大好きな黒木亮の小説『巨大投資銀行』に、ほぼすべての男性を「ジョン」とよぶ登場人物が出てくる。相手の名前を覚える気もないし、異なる名前と呼ぶことを問題だとも思っていない(しかし人間関係はとても大切にしている)。それよりも、本当にやりたいことをして、毎日アドレナリンをがんがんに流すことを大事にするインベストメント・バンカーだ。
ほとんどのことについて、規則は自由につくったらよい。全男性を「太郎」と呼ぶ人生を生きることが出来るなら、私が感じている日々の不安が3割ほど減るかもしれない。とりあえず斉藤/斎藤/齋藤/齊藤さんに送るメールはすべて”Saito-san"に統一することから始めよう。
✏️読んだ/読んでいる
📃記事
Natureが2024年注目する7つの技術:タンパク質設計向け深層学習/ディープフェイク検出/遺伝子編集でDNA大断片の挿入/ブレイン・マシン・インターフェース/超高解像度顕微鏡/ヒト細胞アトラス/ナノ材料の3Dプリンティング。 (nature, link)
中毒性の加速:「技術は、私たちが好きなものを、好きすぎるものに変える」。Y Combinator創立者ポール・グラハムが15年前に書いたエッセイで、そこで描かれた課題は一層加速している。私の周りにいる多くの人がインターネットやデジタル技術を愛しているが、果たしてそれは過度な好意ではないか。それは中毒と線引きされるものなのか。 (PG, link)
人生を変える100の小さな変化 1分ルールからパジャマヨガまで:できることを20-30くらいピックアップして実践し始めました。「40番:片足上げながら歯磨き」が楽しい。「81番:身体が仕事の道具であることを認める」もとても大事。オーディオブック、ろうそく生活、傾きをつくったベッドは今年のうちにやってみたい。 (The Guardian, link)
バンガロール・Kempegowda International Airportの美しさ:全豪オープンで優勝したボパンナが帰国したときに歓待を受けている映像をInstagramでみて、なんやバンガロールの空港めっちゃきれいやんけと思い調べてみました。伝統文化表現と機能性、同時に持続可能性にも配慮されたターミナル。映像/Youtubeから伝わってくる"Terminal in a Garden"のコンセプトの素晴らしさを感じつつ、同時にメンテナンスのたいへんさに思いを馳せています。 (Frame, link)
世界中で広がる「ヘリテージ・ツーリズム」:移民2世・3世が、自分のルーツをたどるために出自国にいく旅のことをそう呼びます。Airbnbによると、このカテゴリーの旅は14→19年の5年で500%以上伸びている。多くは米国人で、資金に余裕が出来た60歳以上の人が多いとのこと。本物の「自分探し」だ。 (The Atlantic, link)
勝利至上主義から解放されたスポーツの面白さ:おっさんになってからやるテニス、勝ち負けを競うのももちろん、先週できなかったことが今週(少しだけ)出来るようになる喜びがある。部活に苦しんだ人、部活の空気が嫌で学生のときにスポーツをしなかった人ほど、大人になってからスポーツを楽しめると思う。 (The Atlantic, link)
もっと「考える時間」をとるためのガイド:生産性や効率性を捨て去る時間を持ちましょう。 >“Looking at the big picture. Finding a spark of inspiration. These are just some of the activities that require space and time to come to fruition.” (beside, link)
人生を10倍にするために書き出すべき10のこと:1月の新年決意進捗がいまいちな方はぜひ取り組んでみましょう。真剣に書き出すと5時間くらいかかります。 (Alex Mathers, link)
📙本
規則と意味のパラドックス:冒頭ストーリーの通りです。意味を扱うお仕事をしているので、いっそう真剣に読みました。いまは、「XがAを意味している」と相手に同意して欲しいとき、妥当性を高めるために何が出来るかについて考えています。難しい。 (Amazon, link)
百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez):次のポッドキャスト課題本。大学生のときに読もうとして挫折した作品、今回はじっくり向き合おうと思います。 (Amazon, link)
無一文の億万長者:有名免税店DFSの創始者のものがたり。タイトルにあるような慈善活動動向の内容よりも、どうやって一介の若者が世界を股にかける小売業を築いたのかの話が興味深かったです。そのまんま事実を追っていくと、昨年売れた『創始者たち──イーロン・マスク、ピーター・ティールと世界一のリスクテイカーたちの薄氷の伝説』くらい迫力ある作品になるはず。 (Amazon, link)
📻観た/聴いた
企画展「もじ イメージ Graphic 展」:21_21 DESIGN SIGHTで前回観にいった展示がそれほど刺さらなかったのだけど、今回はテーマがど真ん中で最高だった。視界の中に文字は溢れていて、どれもそれなりにこだわり持って選ばれ、表現されているわけで、それを痛感できる空間だった。わたしは文字が好きだ。2時間滞在して大型本を3冊買う。帰りの飛行機がたいへんだった。 (link)
企画展「キース・ヘリング展 アートをストリートへ」:有名作品がたくさん。もともと記号論を学んでいたのか。表題にある通り、『観る人まで含めてアート』『より多くの人にアートを』という彼の思想をそのままに表現するなら、美術館に閉じず、六本木の街せめて六本木ヒルズ全体でやってほしかったなと。隣でやっていた東京リベンジャーズの展示がめちゃくちゃ賑わっていました。 (link)
Workspace|Ben Lang:Notionの初期メンバーを務めた彼のデスクが美しい。現在の投資先を公開しているポートフォリオページもシンプルで良い。 (link)
🧩感じた/感じている
もう2月か。はやい。どの天気にもそれぞれの良さがあるけど、結局、晴れがいちばん気持ちよい。
森博嗣がいう創作の法則、いずれもその通りだ。意味ではなく結果を追求しよう。
ものをつくる時、最も簡単なのは、最初である。
最も困難なのは、作るのをやめる一瞬である。
創作には意味も目標もない。しかし、結果はある。
ジャンクフードのような言論ばかり消費していると、思考代謝に異常をきたす。
少し客観的にSNSに流れている言論を見てみると、これは言論のジャンクフードだなと思うようになった。機械加工されたもの・適当につくられたものが多数を占めている。それだけなら良いのだけれども、昔に較べてSNSは憎悪や妬み嫉み虚栄心が渦巻く場になってしまった。今日が最後の日だったとして(最近毎日自分に問うことだ)、これら情報に触れないために後悔するなんてことはありえないと思ったので、一律見ないことにした。 (link)
🍵今の関心事
4月以降のお仕事、なにをするか。
暇が蔓延する社会で、孤独への強度をどう高めるか。
🥑活動報告
2年間通った通信制大学、後期試験の受験をこの週末に終えました。無事に単位が取れたら卒業して「経済学修士/心理学学士」になります。
今年の梅雨時期はインドネシア・バリで過ごすことにしました。
今週も、Happy Weekを:-)