私は田中志、36歳。経営コンサルタント兼ラケットスポーツアパレル屋の店主です。
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岩波書店の創業者について、その友人である哲学者・安倍能成(1883~1966)が評伝した『岩波茂雄伝』を読んでいる。読み始めるまで知らなかったのだけど彼は同郷の信州人で、本書には諏訪や飯綱、野尻湖、飯山など馴染みのある地名がたくさん出てくる。当時の同級生は岩波茂雄をして「信州人の最もよい所を集めたような、純真多感で、素朴で、学問好きで、そして正義感と向上心の人並外れて強い、元気で気を負った青年(p62)」と評したようなのだけれど、現代の長野県民にどれほど当てはまるのだろう。自身と少しでもかぶるところがあるといいのだけれど。(純真および素朴を除く)
学生時代の岩波が強く印象を受けた言葉に、トルストイの「信仰なきところに人生なし」があるという。一高入学前から内村鑑三に傾倒した彼は、この言葉に触れた後キリスト教を学ぶも聖書・牧師の教えがともにしっくりこず、しかし基たる信心を手放さない岩波は「知るべきは我、求むべきは信仰」と言う。宗教が説く真理や理想について納得が出来なかったとしても、自らを見つめ、日々の掃除や家族孝行などに全力を注ぐこと。人生の価値は与えられるのではなく自らつくるべきであり、厳粛な自己反省を試みるとともに現在自己の尽くすべき事をなすことに価値を見出した。その実践が、岩波書店創業当初の”古本正価販売=値引きなし・交渉なし”であり、利益の見込めない地方への書籍通信販売である。私を含めたすべての読書家は、彼の信仰の受益者である。
思うに、信仰とは前提である。論や理を尽くした先にある結果ではなく、その人の論や理を支える前提に信仰がある。これは有効に働く場合もあれば、悲しい結果を招くこともある。自覚的に信仰を選んでいる人もいれば、知らぬ間にいろんな前提を纏って生きている人もいる。どんなに宗教と距離を取る人であっても、信仰から離れることは出来ない。職場で叫ばれる「売上は大事!顧客第一!残業は悪!」も、家庭の「家族が一番!健康が全ての基礎!」も、あらゆる判断や優先順位付けはその根底に信仰の要素を持つ。前提なしで導かれる論理はない。
無宗教の時代だ。後段紹介するUnherdの記事は、Z世代がドストエフスキーにハマる理由の一つに、彼が活躍した19世紀のロシアと現代世界はどちらも宗教が後退した時期だと指摘する。多くの国で宗教が弱くなり(だからこそまだ宗教の力が強く残る地域に対する恐れが高まり)、結果信仰の基盤がまるっと消失してしまった。そこに広がるのは虚無主義であり、問答無用の物質主義である。存在や快楽に前提はいらない。前提、つまりは信仰不要のものへの需要は高まるばかりである。
姿勢と工夫を扱う商売人としてあえて強い言葉を使うなら、能動的に前提をおけない人の頭から価値あるものが出てくることはない。多くの物事は前提を置かなければ解けない。信仰のないやつ、あるいは無自覚な人に出来ることは何もできないのだ。見せかけの論理を操ることは出来るかもしれないけれど、薄っぺらな主張や言葉に何の意味があるだろう(選挙以外で)。真理と混同しない限り、前提は私たちを前進させるパートナーである。「正しい前提を教えてください」「AIが正しいといっていました(それ以上はわかりません)」ということはあらゆる真理や前提にケチがつく時代の自己防御術なのだろう。そういう人ほど、自らが職場でAIに代替されることを恐れている。プロンプトを書くことは、前提をおくことである。
岩波文庫の名作『君たちはどう生きるのか』に出てくる北見くん(がっちん)が好きだ。頑固者で、「誰がなんてったって……」が口癖である。友人と口論になりかけたとき、彼が「誰がなんてったって…君が正しい」と言うシーンは名場面だ。彼は強い信仰を持っている。彼なりの理想像は強い前提と信仰の下に成り立っている。
世間の眼よりも何よりも、君自身がまず、人間の立派さがどこにあるか、それを本当に君の魂で知ることだ。そうして、心底から、立派な人間になりたいと気持ちを起こすことだ――(中略)――いつでも、君の胸からわき出てくるいきいきとした感情に貫かれていなくてはいけない。「誰がなんていったって――」というくらいな、心の張りがなければならないんだ。
岩波茂雄伝の表紙で、同氏は下記の通り紹介されている。
低く暮らし、高く思う──。高らかな理想と志をもって時代と向き合い、あふれる活力と情熱で事業に邁進した岩波茂雄(1881~1946)
めちゃくちゃな人だ。村のみんなの代わりに託された伊勢詣のついでに鹿児島(!)まで足を伸ばしちゃうし、入学試験に受からなかったからといって校長直ネゴで裏口入学しようとするし、勉強にモチベーションが湧かずに2回も留年するし、フラれた勢い相まって「南米で羊飼いやる」と息巻いてしまう。しかし彼が多くの人に愛されたのは、彼が自らに課した人生の前提が魅力あるものだったからだと思う。『正義は最後の勝者なり』岩波茂雄が日頃好んだ格言だ。これを真理とみなすには現代社会はキツすぎるけれど、あまりに魅力的な信仰である。高く思え。正義はなくならない。
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💼心惹かれたもの
✏️読んだ/読んでいる
📃記事
その"共感"は本当に善なるものか?:現代社会で無条件に「美徳」とされる共感・エンパシーが、実態としては政治的に利用され、さらに左右両陣営から批判される難儀な概念となっている。保守派は共感を”西洋文明の敵”と呼び、有害な共感こそ進歩派が自分たちの政策を支持させるための罠であり、行動を伴わない感情的な自己満足に陥る危険性を指摘する。心理学者ポール・ブルームは、著書『Against Empaty』の中で、共感はただ特定のものをあぶり出すスポットライトでしかなく、道徳的指針として使うには欠陥だらけだという。ハンナ・アーレントも本当に危険なのは”共感の欠如”ではなく”思考の死”であって、他人の感情を感じる共感ではなく、”想像力を使って他者の視点を訪ねること(to go visiting)”を重要だと語った。 (New York Times, link)
Z世代がドストエフスキーに夢中になる理由:TikTokなどのSNSを通じ、Z世代の若者の間で文豪ドストエフスキーが熱狂的な人気を博している。現代社会が抱える虚無感や精神的な渇望に対し、ドストエフスキーの文学が解毒剤として機能しているのではとFT記者のChristopher Akersは分析する。彼が生きた19世紀ロシアと現代社会は、物質主義、虚無主義、無神論が広がる社会という点で共通点が多い。彼の作品が持つ反資本主義的な側面が、現代の主流政治や経済システムに失望した若者たちの心を揺さぶっているのではないかと。Z世代でのドストエフスキーブームは、単なる文学的な流行ではなく、深い精神的な探求の現れなのかもしれない。 (Unherd, link)
クラブよりもコーヒーショップを選ぶ若者:サンフランシスコで始まった”Hi NRG”という新しい形のコーヒーイベント、通称「コーヒー・パーティー」を紹介している。日本の喫茶店文化に影響を受けた、自分たちの技術への絶対的な献身、一杯一杯に込められた意図、そして外の世界の悩みを忘れて飲み物を楽しめる空間を創り出すことを目指してつくられた場に、健康的な繋がりを求める若者が殺到している。神戸の旧居留地にこういう店欲しいな。とにかくバイブスがよい。> “店に入ってくる人は皆、友人か、友人の友人か、あるいはこれから友人になる人“ (Eater, link)
シリア難民が祖国に戻りテクノロジー産業を興している:トルコなどに難民として逃れたシリアの人々が、アサド政権の崩壊後、ハイテク労働者たちが国家再建を支援するために帰国を続けている。貧弱なネット回線やインフラ、現金中心の経済、規制の不備の中でも戦いを続けている。 (Rest of World, link)
米ビール界の王者シュリッツ/Schlitzはいかに自滅・崩壊したか:1970年代に米国ビール業界の王者として君臨した同社が、競合・バドワイザーとの熾烈なシェア争いの末に、不正なマーケティング手法と、致命的な品質低下という二重の過ちによって自滅・崩壊へと至った歴史的スキャンダルを描くロングリード。野球場や空港のビール販売権を独占するための違法なキックバックや利益供与、不正取引が常態化していた当時のシュリッツ。コスト削減のために導入した新製法が品質を壊滅的な水準にまで下げてしまったこと、屈強な男たちが「シュリッツを飲まないなら殺すぞ」と脅すような、時代錯誤な広告キャンペーンを展開したことが決定打となり凋落。歴史の教訓。 (Esquire, link)
輸送・交通業界の進化がAIの未来について教えてくれること:教訓1:便利なものは、欠点があっても普及する。教訓2:企業は自らを規制しない。規制は政府の役割である。教訓3:私たちは(デトロイトになるか、東京になるか)技術の未来を選択できる。 (Free Wheeling, link)
沈黙を楽しむカップルは息が長い:英レディング大学の研究。心地よく感じられる内発的な沈黙は、多くの肯定的な感情と関連。低覚醒なポジティブ感情は、能動的な幸福感や興奮状態と異なり、リラックス・穏やかさに結びつくもの。 (Knowable Magazine, link)
旅の計画は、場所より情熱を軸に:贅沢なジェット機体験から埃っぽい自転車旅行、一人旅から団体旅行まで、あらゆる旅を人生を通して経験してきたケビン・ケリーは、旅は「リラックス」と「未知の体験」で全然異なるものと見なす。次の連休、何を楽しもうか? (Kevin Kelly, link)
嫉妬を羅針盤として活用するには:著者は、大学院の創作クラスで一緒だった友人が、『The New Yorker』への掲載や大手出版社との契約など輝かしい成功を収めるのを見て、自分がちっぽけに感じた強烈な嫉妬の経験から筆を起こす。しかしその感情を丁寧にみつめると、本当に自分が求めていたのは「自分の話を聞いてもらいたい」「誰かに自分の重荷を降ろしてほしい」という感情だったという。嫉妬は自然な感情である。強い感情を道しるべとして、自分が本当に求めているものは何かを深く理解し、最終的には他者との比較ではなく自分自身に賭けることへとエネルギーを転換する機会にしよう。 (Feeling Crafty, link)
📙本
岩波茂雄伝:個人伝にハマっています。ガリレオ・ガリレイ、南方熊楠、ヤマ師として有名な山下太郎など、強烈な個性から感じるものの多い時期。積ん読の増加量が加速している。どこかで制御しなきゃ。 (link)
センスの哲学:「この人の仕事の仕方、何か上滑っているんだよな。何か言ってあげなきゃ」と思いたち手に取った参考図書。リズムとビート。大意味と小意味。自由エネルギー原理という使い勝手の良いコンセプトを仕入れられたのも収穫です。 (link)
人生は苦である、でも死んではいけない:アドラー心理学で有名な岸見一郎先生が、仏教、キリスト教、ギリシア哲学等を引きつつ語る人生論。苦は前提。 (link)
📻観た/聴いた
Keyu Jin: China's Economy, Tariffs, Trade, Trump, Communism & Capitalism | Lex Fridman Podcast:『1990年代の中国のイメージは3つの”T”、台湾、チベット、天安門の話しばかりだった』『いまでもそうだね』という対話の通り、中国の政治経済の実態とイメージは大きく乖離があるテーマの一つだ。このコンテンツのおかげで理解が一歩前進した。Lex Fidmanのポッドキャストは多くのビジネスパーソンにとって触れる価値のある何かだと思う。日本版をやるとして、誰が聴き手を務められるだろう。
“The transformative power of classical music” by Benjamin Zander:音楽にはパワーがある。ボストン交響楽団の指揮者、ベンジャミン・ザンダーが持つ”Classical music is for everybody”という強い信念が放つエネルギー。一番好きなTEDコンテンツです。 (link)
Rebuild 412: Hard Problem for Humans Too (hak):来月万博に行く予定がある。事前準備しっかりしていこう。 (link)
🧩感じた/感じている
岩波茂雄が創業の折知人に配した「開店の辞」に記した言葉、格言7つが沁みる。2018年独立するとき、私もこの気持ちだった。
予てより希いし独立自営の境涯を、一市民たる生活に求めて、左記の所に書店開業仕り、新刊図書雑誌及び古本の売買を営業といたし候。不敏の身貧弱の資を以て険難の世路を辿り、荊棘を開いて新たなる天地に自己の領域を開拓せんとするには、定めて遭逢すべき多くの困難可有之事存候、野生が新生活における微少なる理想を実現する為、御同情御助力願われ候わば、幸之に過ぎず候
桃李云わざるも下自ら蹊をなす。
低く暮らし高く想う。
天上辰星の輝くあり、我衷に道念の蟠るあり。
此地尚美し人たること亦一の喜なり。
正しきものに患難多し。
正しかることは永久に正しからざるべからず。
正義は最後の勝利者なり。
言葉少なくともそこに信念が見えるように。
自身の誤謬性を認められなくなったら舞台からおりよう。間違っている自分を認め、笑えているうちは真面目に仕事をしよう。>『科学ではあなたは主人公になれないから』
与えることは最も有効な力の示し方である。
🍵関心事
10月までずっと暑いらしい。秋のテニストレーニングをどんな強度で行うか。強度はリズムと、リズムはセンスと繋がっている。
そこそこの距離に知人が亡くなったときの、気持ちの良い弔い法。
🥑活動報告
いただいたお便りには全て、金曜配信のニュースレターの最後に返信しています。いろんな方から反応をいただけて嬉しいです。
<お便りをお待ちしています>