独立して7年も(まじめに、びっくりするほどまじめに)仕事をしていると、俗説や空想コンセプト、おためごかしに拘っている暇はないと思い知ることになります。先行事例?ベンチマーク?PMF?TAM/SAM/SOM?SNS上にいるきらきらビジネスマンが語るふわっと概念に「うるせえな」と即座に返す。身銭を切って事業をしていると、小賢い人が押しつけてきた脳底の澱、余計なバリが自然と剥がれ、流れでていき、焦点がシャープになります。現実と歴史のみがまともな論理を教えてくれる。
ものごとを決めることについて、経営書や心理学の本に様々な枠組み・ヒントが載っています。が、耐久性・普遍性はほぼありません。抽象度を少し下げてくれる思考・整理装置にすぎない。まともな決断を適切に描写しているのは、『成果をあげる意志決定とは?』をテーマにドラッカーが語った内容です。今週、お仕事で決断に関わることがあるなら(自分で決めるのでも、他人に決めてもらうのでも)ぜひ一読して、二読・三読としてください。
意思決定とは判断である。いくつかの選択肢からの選択である。しかし、決定が正しいものと間違ったものからの選択であることは稀である。せいぜいのところ、かなり正しいものとおそらく間違っているであろうものからの選択である。はるかに多いのは、一方が他方よりもたぶん正しいだろうとさえいえない二つの行動からの選択である。
意思決定についての文献のほとんどが、まず事実を探せという。だが、成果をあげる者は事実からはスタートできないことを知っている。誰もが自分の意見からスタートする。しかし、意見は未検証の仮説にすぎず、したがって現実に検証されなければならない。そもそも何が事実であるかを確定するには、有意性の基準、特に評価の基準についての決定が必要である。これが成果をあげる決定の要であり、通常最も判断の分かれるところである。
したがって成果をあげる決定は、決定についての文献の多くが説いているような事実についての合意からスタートすることはない。正しい決定は、共通の理解と、対立する意見、競合する選択肢をめぐる検討から生まれる。
最初に事実を把握することはできない。有意性の基準がなければ事実というものがありえない。事象そのものは事実ではない。P.F.ドラッカー『経営者の条件』(ドラッカー名著集1 ) p.192
成果を上げる意志決定は、共通の理解と対立する意見、競合する選択肢を巡る検討から生まれる。つまり、延々と調べものをして、正しい(と誰かが語る)情報を積み上げた先に生まれるものではない。Goole検索やAIで調べものをして、マニュアル・教科書が教えてくれる分析を回しているうちは本丸から遠ざかるばかりである。正しさも間違いも何も存在しない選択肢をひねり出し、必死に想像・構想し、10回中8回間違える事を続けてやっと本物になれる(つまり、間違うのが7回に減る)。仕事も、スポーツも、子育て・家族のことも、全部同じである。間違う人にだけ正解のチャンスが訪れ、身を挺して学ぶ人だけが前進する。自分なりの有意性の基準を持つ人だけが、決断を生業にすることが出来る。
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💼心惹かれたもの
uFit Vibrating Ball:全身を酷使するテニスをして、日々マッサージガンのお世話になっています。背中やふくらはぎも何とかしたいなと思いボール型のものも買ってみました。寝転がりながら使えるのが最高です。月2回以上マッサージやストレッチ店に行っている人は、同じお金で毎日体をほぐせるこちらのほうが良いのでは? (link)
✏️読んだ/読んでいる
📃記事
カナダは移民の才能を無駄にしている:著者夫妻を乗せてくれたトロントのUber運転手がアフガニスタン出身の耳鼻咽喉科医だった事から始まるエッセイ。医師不足で専門医の予約が数カ月待ちの一方、熟練の技術を持つ医師が移住先の資格認定障壁に阻まれ運転手仕事を続けている…この場面がカナダ移民政策のパラドックスを象徴しているのだと著者は言います。24年調査では移民の6割が「資格や経験を認められない」と語り、移民の約60%がギグワークに従事するとの報告も。RBC社試算では、移民賃金・雇用をカナダ生まれと同水準にできれば500億ドル分GDP押し上げ効果がある。移民受け入れを積極的に進めてきたはずのカナダ、文化・経済統合を実現出来るだろうか。 (Walrus, link)
再生でも進化でもない”第三の道”を進む人類:老いも若さも拒む(不自然に)整形された顔、原作でもリメイクでもない映画シリーズ、かつての街を模した“再開発都市”。それらは元の美しさを取り戻すことには失敗しつつ、「第三のもの」別の新しい存在を生み出してしまった。”ヴィンテージ風” “手書き風“ そんなものばかりが溢れる都市が生まれつつある。我々は復元・回顧を求めて、全く別軸の”変異”を生み出す時代に生きている。若返りもリバイバルも、本物ではない。だが、それを見抜く眼こそが、21世紀の教養なのかもしれない。 (Lindy’s Newsletter, link)
AI時代、思考の終わり、脳トレの必要性:読み、書き、思考しよう。人間最後の防波堤である。→ ”書くことは考えることだ。AIに書かせることは、思考を放棄することだ” “AIという考える機械の台頭が問題なのではない。問題は、考える人間の衰退である” (Derek Thompson, link)
ポスト識字時代の幕開け、あるいは文明の終焉:↑との続きで読みたいエッセイ。活字が作り上げてきた近代文明(理性・科学・民主主義)は、スマホとショート動画で解体されつつある。毎日1時間本を読もう。毎週1千字以上の文章を書こう。自らが触れるスクリーンを制限しよう。私たちの文明が崩壊する前に。 (Cultural Capital, link)
読書旅行の新たな潮流:一方で、読むことについて希望を持つ記事。読書×旅行×コミュニティを束ねた”リーディング・リトリート”が世界的に拡大している。食事や会話の中心に常に本が置かれ、訪れる場所とシンクロする選書や音読・ディスカッションなどのイベント連動など企画も心地よく織り込まれている。Booktokや小規模読書会が流行ってその先に、文学祭や読書旅行のような新文化が生まれつつある。どこかで参加してみたい。 (BBC, link)
“犯罪小説の王”はいかにクールな存在にのし上がったのか:『ラブラバ』等の作品で知られるエルモア・レナードは5児の父として働きながら「毎朝5時からの執筆」「カフェイン禁止」等の高度な自己規律を通じて、男臭くてクールな作家としての存在を確立してきた。生まれながらのクールではなく、努力で到達したクールさの頂にいるのが彼である。 (AEI, link)
ストア派的サディズムの危険性:かつて自己統御と慈悲の哲学だったストア思想が、他人の苦痛を「成長」と言い換えて楽しむ残酷な道徳へと変質しつつある事を指摘する。痛みを「自然なこと」と見なす視点が、加害の責任感を麻痺させる危うさを孕むのだ。自己鍛錬の度合いで階級をつくってはいけない。→“今日のストア哲学は、苦しみは当然のものかあるいは救済されるべきものかを問う道徳劇に陥っているのではないか。「私は耐える」と独りごちる代わりに、「あなた/彼らは耐えることを強いられるべきだ」と他人に強要する考え方が広がりつつある” (Joan Westenberg, link)
審美眼が時代を左右する:あらゆる領域にAIが浸透すれば、無限に近い量のアウトプットが即時に生成できるようになる。「何を残し、何を捨てるか」の判断こそが価値になるいま、選択と編集、判断の構造を支える審美眼のことを深く考えなくてはいけない。Reference/参照とCounterpoint/対照、Proportion/比率とRhythm/リズム、Threshold/閾値とContrast/対比、どこに美しさの根拠を据えるか。これらをパラメータ化し組織のアセットにできるのか。これができる組織が強くなる。 (FIELD, link)
新しい仕事を始めるときに心がけること:最初の90日のコンセプトは『学びながら成果を出す』こと。最初の30日は何よりも”何も壊さないこと”。何が機能しているのかを把握しそれには触らないこと。次の30日。すぐ成果が出そうな80%確信のあるお仕事でクイックウィンを積み上げる。そこまでしてから変革の一手、10倍の成果に繋がる可能性のある施策を仕込む。 (Elena’s Growth Scoop, link)
📙本
生きるということ:『自由からの逃走』『愛するということ』等で知られるE.フロムの名作。「持つ存在様式/to have」と「ある存在様式/to be」とを対比し、私たちは後者を取りもどさなくてはならないと強く語りかける。何よりもまず能動的であること、態度で示すこと、自らをあえて空虚にすること。すべての能動的情動は善である。 (link)
持つ存在様式は財産と利益を中心とした態度であって、必然的に力への欲求ーーというよりは必要ーーを生み出す。ほかの生きた人間を支配するためには、彼らの抵抗を突破するための力が必要である。私有財産の支配権を維持するためには、他人からそれを守るだけの力を用いなければならない。彼らは私たちと同様にこれで十分ということを知らないので、私たちから財産を奪おうとするのだ。私有財産を持とうという欲求は、顕在的あるいは潜在的な方法で他人のものを奪うために、暴力を用いようという欲求を生み出す。持つ様式においては、幸福は他人に対する自己の優越性の中に、自己の力の中に、そして究極的には征服し、奪い、殺すための自己の能力の中にある。ある様式においては、それは愛すること、分かち合うこと、与えることの中にある。
経営者の条件:ドラッカー著作の中で長く読まれてきた自己啓発本のバイブル。成果を上げるために持っておくべき習慣①自らの時間がどう使われているかを理解する②外の世界に対する貢献に焦点を当てる③強みを基盤にする④優れた仕事が際立った成果を上げる領域に集中する⑤成果を上げるよう意思決定を行う、の5つ。実践できている人がどれだけ少ないことか。 (link)
今日意思決定は、少数のトップだけが行うべきものではない。組織に働くほとんどあらゆる知識労働者が、何らかの方法で自ら決定をし、あるいは少なくとも意思決定のプロセスにおいて積極的な役割を果たさなければならなくなっている。
会社という迷宮:1年ぶりの再読。強烈で、背筋が伸びる正論がここにある。 (link)
合理性とは、常に目的に対する合理性、つまり目的合理性を意味するはずだが、彼らはその目的のほうに対しては極めて無頓着に、自分が想定する目的の絶対的普遍性を信じて疑うことがないのである。そして、その思考回路が転移してしまった「経営者」の脳内では、「自らが志と信念を以て取り組む事業を、儲かるようにすること」ではなく、「なんでもよいので儲かる事業を選んできて取り組むこと」こそが経営なのだと思い込むことになり、それに疑問を持つことさえ、今や理解の範疇外となってしまったようである。
「戦略」は深みを覗いた人間が、そこに見出した何かに挑もうとする強靭な「意志」と「信念」の産物である。「意志」のないところに「戦略」はなく、その人間の「信念」に深さがなければ、そこに優れた「戦略」は生まれない。
過去から現在をまたいで未来へと連なる意志も、そこで生まれる。何かをめざしての成長とか、何かを求めての探求とか、何かを信じての努力といった意志は、現在の自分を、過去の自分の「記憶」にしてしまおうとする、未来への意志である。もし、損得と好悪だけで本能的に現在を生きるだけの主体であれば、「自分はこうありたい」「こうあるべきだ」とか「何が善いことか」という思考は生まれようがない。ちょっとばかり小賢しいリスと、本質的には大差ないであろう。
📻観た/聴いた
テストステロン値を自然に高める方法:男性ホルモンという複雑なシステムをどう理解し、どう生きるかを問う総合講義。テストステロンを”筋肉増強燃料”ではなく、
骨・神経・赤血球・代謝・気分すべてを統合する“中枢ホルモン”と位置づけ、睡眠や最適な食事、アルコールとの関わり方などを語る。骨太3時間インタビュー。 「薬に頼る前に、自分の生活を最適化しろ」いいメッセージ。(Found My Fitness, link)
🧩感じた/感じている
Oura Ring 4を改めて付けるようになり、健康意識がいっそう高まっている。運動と休息をバランス良く。お高いのですが、関心ある方向けに10%オフの紹介コードです。 link
自宅ルーターを買いかえ最新モデルにしたところ通信安定性が段違いに。当たり前になっている環境を定期的に見直すの大事。
上海マスターズ決勝の”いとこ”対決、Rinderknech vs Vacherotは優勝セレモニー含めて素晴らしい場だった。Vacherotは予選から勝ち上がって一気に世界40位、モナコの選手として初めてのトップ50入り。テニスというスポーツの美しいところがすべて詰まった決勝戦でした。
🍵関心事
うっすら年末感が出てきた。さて、2025年残りでやり残したことは何か。
ロンドンの人は本物の相撲をどう見たのだろうか。 link
与党構成が変わることで起こる地方政策の変化。特に衆院に公明党当選者が多い兵庫県、果たして次はどんな選挙戦が展開するのか。それにしても「与党経験者が少ないから閣外協力で」って、そんな論理が成立するんですね。これが通るなら、次から自民党(立憲民主党も?)以外の政党が語る「私たちが政権を取ったら○○を実現します!」を信じることが極めて難しくなると思うのだけれど。
ユヴァル・ノア・ハラリが言う『ウクライナは勝利している』をどこまで信じるか。→“戦争はより多くの領土を占領したり、都市を破壊したり、命を奪ったりした側が勝つわけではない。政治的目的を達して初めて勝利と言えるのだ。ロシアのプーチン大統領はウクライナという国家の破壊を主たる目的としてこの戦争を始めたが、達成できないのは明らかだ“
ぼんやりとしたエネルギー不足に対処する方法。
🥑活動報告
テニス関連新事業が大盛り上がりの中、コンサルティングお仕事で2つ新規提案。忙しくなりそう。一生懸命働いて得られたものを社会に再還元していい巡りをつくります。
EC基盤をSquare→Shopifyに移行しています。UX最適化や有意義なアプリ選定など、識者の方はぜひ御助力ください!!
来年2月にタイ・バンコク、4月にフランスとカナダに行きます。
<お便りをお待ちしています>



