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声報:『当たり前基準』を高くする
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声報:『当たり前基準』を高くする

雑な文字起こし。冒頭から「生まれ」を2回発話していて、しゃべりベタが露呈しています。

私が生まれた長野の北部、飯山市というところの生まれなんですけど、雪がめちゃくちゃ降るんですよ。30〜40センチとかそういう話じゃなくて、3メートル、4メートル降るんですよね。

私が住んでいた頃はそういうことはなかったですけど、古いお家だと2階にも玄関があるんですよ、みたいな話をされる人もいて、すげえところだなと思ったんですけど。

それだけ雪が降るので、スキーが盛んで、私たちの小学校も冬場は校庭でみんなスキーをやるんですよね。それはクロスカントリースキーっていう、細いスキー板を足につけて平地をぐいぐい歩いていくスタイルなんですけど、一部の子はジャンプ台からビューンと飛び立つ、冬のオリンピックで見るようなスキージャンプもやるんですよ。

船木選手とか原田選手とか、ああいう競技ですね。男子が100人いたら4〜5人くらいはやっているんですよね。私が行っていた小学校、中学校の一つ上の先輩で、ワールドカップの代表になった人もいたりして、結構盛んにやっていました。

そこで聞いたのかな。「スキージャンプって怖くないんですか?」って。

テレビで見ていると、座っているところからピュッと斜面を滑り出して、あとは飛ぶだけじゃないですか。軽点に向かってビューッと飛んでいくように見える。でも、あれ上から見るとめちゃくちゃ怖いんですよ。本当に崖を降りていくみたいに見えるんですよね。

もちろん実際にはそんなことないんですけど、体感としては垂直のところを降りていくみたいな感じなんです。だから、きれいな飛行姿勢を取れなくて失速して、手前にポトンと落ちる人がいると、アナウンサーの人が「ああ……」とか言うんですけど、「いや、一回やってみい」と思うんですよ。めちゃくちゃ怖いぞと。

「きれいな形」とか言うてる場合ちゃうやん、と思っちゃうんですけど。

じゃあ、なんでそんなことができるのかと聞いたら、やっぱり小さい時にやっていて、体が慣れているからなんだそうです。

小学校4年生か5年生より前に始めないと、絶対に始められない競技だと言うんですよ。怖すぎて。

だから、物心ついてから始めるっていうことは、ほぼ原理的に不可能で、小学校1年生、2年生くらいから始める。もちろん最初から90メートル飛ぶようなジャンプじゃなくて、もっと小さいスモールヒルみたいなところで、本当に数メートル飛ぶところから少しずつ始めて、大きくしていくんだと思うんです。

つまり、「飛ぶのは怖くないものだ」ということを体に馴染ませる。それをどれくらいやっているかということなんですよね。

なるほどなあと思いました。

大学院を出て就職して、東京の会社に入ったので、当然周りも東京の人が結構たくさんいました。

私は長野の田舎で生まれて、地方の大学に行って、大学院だけ東京に行って就職していますけど、生まれも東京で、中高はいわゆる御三家と言われるような学校に行っていた子たちとも就職で一緒になります。

こっちも興味があるので、「どんな感じなの?」って聞くわけですよ。

そうすると本人たちからすると、「普通の学校だよ」という話をするんですけど、いろいろ話を聞いていくと、やっぱりスタンダードが違うんですよね。体に馴染んでいるスタンダードが違う。

ある女の子は東大に行って大学院まで行っていたんですけど、「高校2年、3年まで模試を受けるとずっとD判定、E判定だったよ。私、全然そんな賢いとかじゃないし」みたいなトーンで言っていたんです。

でも、「DとかEとか出てたら嫌にならないの?」って聞いたら、「いや、でも東大に行くもんだからね」って言うんですよ。

だから、「DとかEだけど、結局東大に行くもんだから、そこから勉強して受かりました」っていう話なんですよね。

そっかあって思いました。

私が行っていた長野の高校だったら、多分DとかEとか出ていたら、「ちょっと別の大学を考えてみようか」ってなると思うんですよね。E判定で「行きたいです」って言ったら、普通は止められるでしょうし。

でも彼女からすると、DとかEっていうのは単純な通過点でしかなくて、東大に行くのが当たり前という目線でやっていたんだと思うんですよ。

さっきのジャンプの話もそうだし、入試もそうなんですけど、当たり前の水準をどこに持つか。自然に感じるスタンダードをどこに持つか。

ジャンプで言うと、「これ飛んでも別に体に危険はない」。勉強で言うと、「何があろうと東大に行くのがそういうものだよね」。

何をもって当たり前にするかというのは、結構能力とは別の話だったりすると思うんですよね。

スキージャンプで長く飛べるだけの運動能力だったり、脚力だったり、体幹が強くて姿勢保持ができること。あるいは勉強ができる能力。それとは別に、そもそもの精神の中心がどこにあるかということが、勝負を分ける瞬間は結構あるなと改めて思います。

今は夏ですけど、いろんな会社の新卒の子たちが研修を終えて部署に配属されて、私がお邪魔しているお客さんの会社でも、ちょっとずつ会うことが増えています。

新卒の子たちは社会人1年生なわけですから、「仕事の当たり前」がどういうものなのかを、今まさに体に馴染ませていっているところなんだと思うんですよね。

二つあって、一つは学生の時の当たり前から全然抜け出さないだろうな、この人は、という人。SNSの見過ぎなのかもしれないですけど、「仕事ってこういうもんじゃないですか」みたいなことを言って、すごく杓子定規に関わる人。

「こいつ未来ねえな」と思うこともあります。

もう一つは、学ぶ姿勢はすごくあるんだけど、その会社自体の当たり前基準があんまり高くないということ。

なので、どっちのパターンも結構しんどいなと思ったりするんですよね。

当たり前の基準を一回グッと上げておくと、いろんなことが楽になるんですよね。さっきの恐怖心の話だったり、あるいはバッドラックに当たった時の自分の向き合い方だったり。

最初にスタンダードを高く持っておくということをやっておけるだけで、開けてくる道がたくさんあるんだなと思います。

特に自分が新しい何かと向き合う時、別に仕事じゃなくても何でもいいと思うんですけど、それは当たり前の基準をどこに持とうとするのか、ということだったりもするので、そういう意味で、どういうところに触れるかというのは大事だなというのを改めて思いますね。

BCGの先輩がSNSで言っていて、業界のリーディングカンパニーで働く価値というのは、いろんな人とのつながりを持つことも当然あるけど、目線が上がる、高い当たり前基準を体に染み込ませることがあるんじゃないか、と。

その方も「福利で効いてきますよ、そういうのは」と言っていましたけど、本当にそう思いますね。

だから、自分が何をもって当たり前とするか。その当たり前基準を、正当で、かつ高い水準で納得できるものにするというのは、すごく大事なことだなと、そんなことを改めて思った朝でした。

じゃあ今日はそんなところで。失礼します。

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